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見えない「メガネ」と見えてくる社会 (後編)

天羽 礼彩

〜「メガネ」の比喩で伝える想いと軌跡〜 
やさしさではなく視点のアップデートを

※(前編)あなたのメガネ、本当に透明ですか?はこちら



◆はじめに

近年、社会における「多様性」や「共生」という言葉が様々な場面で注目されるようになりました。
とりわけ、障害者の声やニーズを社会に届ける動きは広がりを見せています。

けれどもその一方で、「声が届きにくい」「制度の隙間にこぼれ落ちている」当事者や、障害に限らず知られていない困りごとを抱えている方々がまだ多く存在しています。

本記事では、私が生涯をかけて発信を続けている「見えにくい困りごと」について、想いと軌跡をご紹介します。

私が社会課題に対してどのような問いを持ち、どのような想いで発信しているのか。
またどのように情報を集めて多様な視点を融合し、提案につなげてきたのか。

読んでくださっているあなたへ──
当事者の方、ご家族、支援者、あるいは企業や現場で日々向き合っておられる皆様にとって、少しでもヒントや実践のきっかけになれば幸いです。

本記事では障害に関する内容を中心にご紹介していますが、私は障害に限らず多様な社会課題に取り組んでおり、それらを横断しながら課題全体に提案と実践を行っています。

なお、私自身の障害や家族との関係について綴った別の記事もありますので、そちらもあわせてご覧ください。
→ 【宙ぶらりんな優しさが、私を追い詰める 〜見えない苦しみと未来への希望〜】


◆合理的配慮の本質

想像してみてください。
もし、この社会に「メガネ」が存在しなかったら——。

近視の人も、遠視の人も、乱視の人も、世界はずっとぼやけたまま。

駅の案内表示も読めず、仕事のミスを繰り返してしまう人に対して「なんで見えないの?」「もっとちゃんと見てよ」
——そんな言葉が、当たり前のように飛び交っていたかもしれません。

「どうしてこんな簡単なこともできないの?」と怒ったり、「これぐらい見えるでしょ?」と書類を無理に渡してきたり。
黒板の文字が読めない子どもを、「怠けている」「集中力が足りない」と誤解してしまうこともあったでしょう。

「前に座れば?」「暗記すれば大丈夫」——そんな根本を無視した助言が繰り返され、ようやく「視力が弱いのでは」と気づかれたときには、その子の自尊心はすっかり傷ついてしまっていたでしょう。

私たちは日々、目に見える情報を手がかりに物事を判断しています。
けれど実際には、社会には“見えない困難”や“外からはわからない違和感”があふれています。

たとえば、「痛みや疲労で日常生活が困難」「光や音がつらい」「情報を整理するのに時間がかかる」など、外見ではまったくわからない障害や特性があります。

それらは視力や聴力のように数値化しやすいものではなく、見え方や感じ方の“質感”の違いとして現れることが多いのです。

私たちはそれぞれ、自分に合ったレンズを通して世界を見ています。
そのレンズは、生まれ育った環境や経験、価値観などによって自然に形成されたものです。
けれど、その自分のレンズが他の人にも当てはまるとは限りません。

たとえば自分には何でもない音が、ある人には「刺すように感じる」こともあります。
けれど外からは「普通」に見えるため、「なぜそんなに苦しんでいるのかわからない」「気にしすぎだ」と誤解されてしまうのです。

外見に現れない困難を抱えた方々は、誤解や偏見のなかで“怠けている”“わがまま”と受け取られることが多く、何度説明しても理解されにくい壁に直面しています。

声が出しにくい→返事ができない→無愛想
座ってばかりいる→やる気がない
誰にも助けを求めない→自立している

これらはすべて、見えている行動だけを判断材料にしてしまうことで生まれる、誤ったラベリングです。
その色眼鏡こそが、本人にしかわからない痛みや苦しみを覆い隠してしまっているのです

元気そうに見えるからといって、困難が存在しないことにはなりません。
メガネがすでに社会に受け入れられているように、合理的配慮もまた、理解された道具として育てていく必要があります。

本来、メガネがその人に合うように調整されるように、合理的配慮や支援も個別に合った対応が必要なはずです。
けれど今の社会では、たとえ本人が「これを使えば見える」と言っても、その仕組みが理解されなければ「見えるわけがない」と否定され、逆に「メガネが合わないのはかける側の問題だ」と責められてしまうことすらあります。

社会がメガネを知らなかった時代のように、今の私たちも見えない困難に対して同じ過ちを繰り返してはいないでしょうか。

音声の情報では理解が難しいかたには、文字の案内を加える。
光が苦手なかたには、照明を調整できる環境をつくる。
疲れやすいかたには、途中で休憩できる仕組みを用意する。

こうした“ちょっとした工夫”があるかどうかで、そのかたの生活のしやすさは大きく変わります。
見た目ではわかりにくい困難にこそ、社会全体で目を向ける必要があるのです。

合理的配慮という言葉を聞くと、「特別扱い」や「負担がかかるもの」と誤解されることがあります。
けれど合理的配慮とは、社会が誰かにやさしくするためのものではありません。
そのかたが「本来持っている力を発揮する」ための前提条件であり、“公平に参加するための土台づくり”なのです。

社会が本当に多様性を尊重するためには、困っていることを特別視して支援するのではなく、まず「見えないものがある」ことを知り、「見え方は人それぞれ違う」「知らなければ気づけない」という前提から、もう一度考え直してほしいのです。

合理的配慮は、誰かを「特別に扱うこと」ではなく、それぞれに合った見え方、感じ方、やりかたがあるという前提のもとに、お互いの違いを認め合う営みです。
「あなたの努力が足りない」と指摘する前に、「何か困っていることはありますか?」と問いかける姿勢。
それは障害があるかただけでなく、誰にとっても生きやすい社会、公平に社会に参加できる土壌をつくる第一歩になると思うのです。


◆制度と善意がもたらす見えない障壁

「困っている人を助ける制度は整っている」
「必要な支援は行政や専門機関が用意してくれる」
「バリアフリーや合理的配慮があるから大丈夫」
——そんな言葉を耳にしたことはありませんか?

けれど現実はどうでしょうか?
制度や設計だけでは拾いきれない困りごとが多数存在しています。

たとえば、スロープがあっても角度が急で進めなかったり、通路が狭くて通れなかったり。
「ある」だけでは使えないバリアフリーも、現実には少なくないのです。

さらに、外見には現れない障害や疾患を抱える方々は、制度の対象からも周囲の理解からもこぼれ落ちやすい状況にあります。

本来、目の前の相手の特性や状態を理解しようとすることは支援という枠を超えた、人として当たり前の関係性なのではないでしょうか。

私は制度そのものを否定したいわけではありません。
ただ、「制度があるから安心」ではなく、「制度がなくても思いやれる社会」を目指したいのです。

制度や支援は暮らしの一部であって、暮らしそのものではありません。
だからこそ、日常に潜む違和感やすれ違いの背景にこそ、社会を変えるヒントがあると思うのです。

そうした違和感は、ときに「親切」や「善意」といった行動として表れます。

後ろから突然肩を叩いたり、声をかける前に腕を引っ張ったり——当事者にとっては恐怖を感じ、また安全を脅かされる危険な行動になってしまう場合もあるのです。

「困っているかたを助けたい」と思っても、適切な関わり方を知らなければむしろ負担になってしまいます。

「危ないから、やらせない」
「時間がかかるから、代わりにやってあげる」
こうした思いやりの裏には、相手の意思や能力を確認せず、気づかぬうちに「できないだろう」と決めつけてしまう。
本当はできたはずの力が見過ごされてしまう。

その結果、相手の可能性を閉ざし、自己肯定感や成長の芽を摘んでしまうこともあるのです。
社会がこうした思い込みのバリアに気づき、やさしさを再定義することが必要です。

本当の意味での配慮とは、段差をなくすといった物理的な環境整備だけではなく、心の中にある「決めつけ」や「主語のすり替え」に気づくこと。
そして「できない前提」ではなく、「どうしたいか」に耳を傾け、「どうすればできるか」を一緒に考えることだと思うのです。

私はやさしさに潜む危うさを伝え、ひとつひとつ誤解を紐解きながら、相手の意思と力を尊重する文化を根づかせたい。
“ために”ではなく“共に”生きることが、きっと社会を照らす明かりになるから。

一緒に考え、一緒に選び、一緒に笑える社会へ——その一歩を、あなたから始めませんか?


◆多様な視点をつなぎ、翻訳し、共創する社会へ

これまでに多くの当事者が、SNSやブログなどを通して自らの思いや困難、工夫などを発信してきました。
これらは社会を変える大きな一歩です。

けれど、多くの発信が自己表現にとどまり、他の立場や分野とつながらないまま終わってしまうケースも少なくありません。
情報が点で止まり、線や面として社会に浸透していないのです。

私はそうした点と点をつなぎ、線にし、面へと広げる役割を担いたいと考えています。
そのために私が出発点としているのが、「情報の収集」と「対話」です。

ただネットで検索をしたり書籍を読むだけではありません。
私は自身のSNSやライブ配信に寄せられる声を受け取りながら、300名以上の当事者、発信者、各分野の活動家の投稿にも目を通しています。
また多様な背景の声を拾うため、SNSを使っていない当事者やご家族、支援者、関心のある方々とも、マッチングサイトや複数のコミュニティ、メディアを通して交流しています。

何気ない雑談の中に、深刻な困りごとが隠れていることもあります。
だからこそ私は、表に出てこない声の「断片」を集め、それらをつなぎ合わせて見取り図を描き、必要な方々や組織に届けています。

「当事者だから、わかることがある」——それは事実です。
けれど同時に、「当事者でなくても、できることはある」と私は信じています。

障害に関する発信をしている当事者であっても、自分が経験していない障害や配慮については知識がないことも多くあります。

一方で、福祉や社会課題の専門家であっても自分の領域だけにとどまっていたり、制度やデータの“部分最適”に偏りがちです。

そのため、いくら専門的な知見があっても当事者の声や複雑な状況を反映できず、現場で活用できる提案にはならないのです。
企業や支援者もまた、「教えられていない」「接点がない」ことによって“情報の断絶”に直面しています。

支援者・専門家・当事者・部外者──私たちはしばしば、立場や役割で分けられがちです。
けれど本来、誰もが支える側にも、支えられる側にもなる。
だからこそ、「当然の選択肢」として配慮が存在する社会が必要なのです。

発信して終わり、支援して終わりではなく、情報が循環し、発展し、他者の行動につながる——。

そんな社会の構造をつくるために、私はまだ見ぬ道を切り開くパイオニアとして共感と関心の起点となりながら、経済的に困難な課題や制度に埋もれた声、そして社会に気づかれず、ときに見放されてきた声をビジネスや仕組みとして再構築することに挑戦しています。

単なる成功事例を生むのではなく、社会課題の構造そのものに変化をもたらし、業界全体の進化を後押しすること。

前例のない課題に取り組むことで、「自分にもできるかもしれない」と感じられる土壌を築き、新たな挑戦の連鎖を生み出すことこそが私の使命であり、目指す“未来の当たり前”です。

私の強みは、隣接分野の声や仕組みにもアクセスし、多角的に物事を捉えられることです。
また、感情論にとどまらず当事者や関係者の声や制度、データ、社会全体の動きといった多層的な情報をもとに課題を整理し、言葉や仕組みとして実践に落とし込むための翻訳・提案を行っています。

たとえば「当てられても答えない」と悪く思われている子には、聴覚の情報処理に困難を抱えていたり、人前で発話することに強い不安があるかもしれません。
あるいはヤングケアラーや複雑家庭であるがゆえに、慢性的な疲労が蓄積しているのかもしれません。
「ルールを守らない」と見なされている外国人児童も、言語や文化、宗教への理解が不十分だったり、記憶力などの見えない障害特性が見落とされている可能性がありますよね。

このように、行動の“背景”に目を向けることで、思い込みを越えた本質的な支援や環境づくりが可能になります。

支援の現場では「困っている=制度につなぐ」と考えられがちですが、そもそも制度が追いついていない現実も多々存在します。
だからこそ私は、主観的な実体験、客観的な制度・データ、俯瞰的な社会視点を組み合わせ、「現場や日常のリアルに根ざした提案」を行っています。

たとえば介助がなくても生活できるように工夫してきた経験は、現状の制度や予算の枠内で「本人の力を引き出すアイデア」として他のかたにも応用可能です。
それは単なる「誰かの手助け」ではなく、「自分で選べる自由」を支える視点でもあります。

そしてこの視点こそが、制度や支援の隙間にこぼれ落ちてきた方々にもう一度“社会とのつながり”を届ける鍵になると、私は信じています。

「その思いやり、誰に向いていますか?」
「その制度、想像の及ばない人を置き去りにしていませんか?」

これは誰かを責めるための問いではなく、“想像力を広げるためのメガネ”です。

私はこれからも、問いかけと提案を通して立場を超えて響き合う“共創の社会の輪”を広げていきます。


◆実践で広がる社会変革の種

こうした信念をかたちにするため、様々な発信や提案を通して社会に働きかけてきました。
今後はさらに発展させて新たな領域にも挑戦していきます。
このパートでは、3つの柱とその具体例をご紹介します。

1. 発信力の強化、文化・芸術との融合

私はSNSやライブ配信、メディア出演を通して、多様な方々に届くユニバーサルデザインの発信を行ってきました。
たとえばInstagramでは、下記のような視覚障害・聴覚障害・識字障害・過敏症など様々な方々が楽しめるようユニバーサルデザインを取り入れています。

・文字画像は使用せず、本文と代替テキストに写真説明を掲載
・特殊記号や飾り文字を使わず、シンプルな表現を心がける
・ストーリーでも、わかりやすい言葉を使用した音声と読みやすい字幕をセットにする

こうした工夫は当事者だからできるわけではありません。
「知らないと気づけない」からこそ、知ることが社会を変える力になると信じています。

実用性が高いのに知名度が低い商品やサービスを紹介したり、見えにくい困りごとを社会に翻訳をして伝えることで、制度では拾いきれない声を届ける「気づきの橋渡し」も行っています。

私は幼少期から、小説や舞台作品に触れると描かれていない場面までもが自然に映像として立ち上がるような体験をしてきました。
まるでその世界に生きているかのように、風景や空気感までもが五感に流れてくるのです。また絶対音感と相対音感を併せ持ち、共感覚の持ち主でもある私は、音・色・空間・感情といった異なる感覚が重なり合って伝わってくることがあります。

一方で、感情よりもデータや構造を優先して考える理屈っぽい性格であり、空気を読むことは得意ではありません。
このように論理的な視点と感覚的な受容性という一見相反する特性を併せ持つ私だからこそ、見えない課題を多角的に捉え、社会に向けて翻訳し、橋渡しができるのだと思います。

今後は障害に関連する発信にとどまらず、より広い領域においても五感や感性に訴えるアプローチを模索していきます。
その一環として、歌・朗読・演劇などの表現活動を通して制度や数字では伝わりにくい生きづらさや問いかけを届けたり、感覚を可視化するサービスや感性から着想を得た唯一無二の作品など、新たな表現の可能性にも挑戦したいと思っています。

2. 多分野と連携した社会モデルの創出

障害福祉だけにとどまらず、児童福祉や高齢者福祉、母子・父子・寡婦福祉や複雑家庭、教育、矯正・更生施設からの社会復帰、生活保護、ジェンダー、文化、宗教、観光、第一次産業など幅広い領域と連携し、背景を含め多角的に課題を掘り下げてきました。

障害当事者であると同時に、恋愛や性愛の感情を持たないアロマンティック・アセクシャルの当事者としても、制度や支援の枠組みに潜む「暗黙の前提」に疑問を投げかけ、多様な生きかたが尊重される社会の在りかたを模索しています。

視覚障害者としては、有名ファッション誌の企画にチームメンバーとして参加し、リサーチとコーディネーターを担当。
視覚が重視されるメディアにおいて、視覚障害者が関わる第一歩を築くことができました。

一方で、重度重複障害者としてはライブ配信を通した発信を重ね、配信イベントで1位や上位入賞を合計20回以上経験。
中堅ライバーとしての実績を評価され、モデル事務所からは事務所初となる障害者との提携の打診も受けました。
これらを通して「重度障害者でも、重複障害者でも、できることはたくさんある」ことを社会に伝えられていると感じています。

また、市政に関する提言の機会にも恵まれました。
児童福祉分野では、性格や家庭環境などに起因する見えにくい困難が見過ごされやすい実情があります。
そうした背景を踏まえ、新たに構想されていた施策に対して多様な子どもたちが参加しやすくなるよう、市長へ改善案を提案。
当事者である子どもや学生の声が提案内容を裏づけるかたちとなり、現場の実情に即した意見として受け止められました。

加えて各分野の当事者や専門家、関係者と対話や交流を通して、現場のリアルな声を継続的に収集・分析しています。
今後もこうした多分野との連携を深めながら、既存制度の隙間を埋める実践的な提案を重ねていきます。

さらに、ユニバーサルデザインを具現化するブランドの立ち上げやアプリ開発、イベント企画、施設運営など多様なプロジェクトを推進し、誰もが使いやすい社会のモデルケースの創出を目指しています。

3. “橋渡し”としてのコンサルティング

企業が障害者雇用や商品開発を進める中で、「何をどう配慮すればよいのか分からない」「配慮しているつもりなのに伝わらない」といった声がよく聞かれます。

障害者をはじめとするマイノリティ向けの商品やサービスの企画でも、「現場の声」や「多様な実態」を知ることが成功のカギになります。

私はこれまで、当事者視点と実態を踏まえた新商品の企画提案や既存商品の新たな活用方法の提案、パッケージや案内方法の提案などユニバーサルデザイン視点や当事者のリアルな声を様々な業種の企業にフィードバックしてきました。

こうした提案は、家電や化粧品、塗料など分野を問わない多様な企業に対して行ってきました。
また「障害」という枠にとどまらず、見えにくい困難を前提にした活用法の提案も行っています。
たとえば音や光、空間構造などの影響を受けやすく集中力が途切れやすい子どもたちに向けた学校や児童館などでの活用方法を企業に提案することで、教育現場の工夫や環境づくりにも貢献しています。

その一方で、障害者支援事業所に対しては複数の障害が併存しているケースや、制度の想定外にある困難、認知度が低い疾患などへの理解が不十分な現状を踏まえ、「こうした存在がある」ことを伝えるとともに、多様な実態に対する理解促進と適切な対応方法を提案しました。

福祉の現場であっても、「こうした困難がある」と知られていないケースは多く、制度の枠組みや従来の分類に収まらない課題こそが見過ごされがちです。
私は当事者の一人としてだけでなく、当事者になる以前から多くの当事者の声を受け取り、対話し、蓄積してきました。
だからこそ、私が伝える「当事者視点」とは、私個人の経験だけではなく、数多くの当事者たちの声に根ざしたものです。
現場で拾いきれない声と制度の間にある隙間を見つけ、つなぎ、翻訳すること。
それこそが、企業や行政に対して私が担ってきた本質的な役割だと感じています。

今後はこれらをさらに広げ、企業・行政・教育機関に対して障害者雇用の業務設計や定着支援、ユニバーサルデザインの導入、マニュアルにとらわれない柔軟な配慮方法の提案などを行いたいと考えています。

さらに学校や企業への講演や登壇を通して、合理的配慮の本質やその背景にある多様な視点を社会に広く伝えていきます。


◆おわりに

では、どうすれば「見えない困難」や「合理的配慮の必要性」が、もっと社会に伝わるのでしょうか。
私が提案したいのは、「説明責任を当事者だけに負わせない社会」です。

今の社会では、「困っているなら自分で説明して」「配慮が必要なら自分で申告して」という空気が根強くあります。
けれどそれは、視力が弱い人に「メガネが必要なら、まず理由をプレゼンしてからかけてください」と求めるようなものです。

ナンセンスですよね。

だからこそ、教育現場や職場、公共施設、メディアなど、あらゆる場所で「多様な見え方・感じ方がある」ことを前提とした環境整備や情報発信が必要です。

たとえば:
・ユニバーサルデザインに基づく案内やサービス
・「困っているかもしれない方々」に自然に手を差し伸べるための想像力を磨く研修
・当事者の声や多様な事例を紹介する広報活動
・「配慮してください」と言える空気をつくる組織文化

制度はあっても使われなければ意味がなく、商品があっても知られなければ届きません。
声があっても、つながらなければ社会は変わりません。

私は、そのギャップを埋める「翻訳者」であり、「案内人」であり、「共に考える人」でありたい。

社会にはびこる“見えなさ”を見つけ、言葉にし、かたちにする役割を、これからも果たしていきたいと思っています。

私たちは誰もが、見えない偏見や、知らなかった現実に直面することがあります。
そんなとき、「自分のレンズを磨く」ことで、世界は少しだけ違って見えるかもしれません。

「誰かの常識が、別の誰かには苦痛になることがある」
だからこそ、違いを否定せず、受け止め合える社会を。

私は、これからも様々な立場の声をつなぎ、小さな違和感や困りごとにも目を向け、丁寧にかたちにしていきます。

メガネの存在に気づき、色眼鏡に気づき、他者の見え方に心を寄せる――
それは「やさしさ」ではなく、「視点のアップデート」です。

そして、誰もが“その人らしく”生きられる社会へ。

あなたのメガネは、今、何色ですか?
どんな世界を映していますか?

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