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布団からでられなかった私が一人暮らしで就活をするまでのスモールステップ①(大学入学~休学まで)

のこ

◆はじめに

かつて大学を休学し外出どころか布団から出るのも難しかった頃から、一人暮らしで就活をすることができるようになるまでにどのような回復ステップを踏んだのか振り返ろうと思います。

具体的な体験を書くことに重きを置いたので長くなってしまいましたが、よろしければお付き合いください。


◆自己紹介

  • 文系学部生

  • 高校生時に鬱病診断、休学中に双極性障害に診断変更

  • 高校卒業後1年浪人、大学在学中に2年間休学

  • 大学入学と同時に一人暮らし開始、休学に伴い帰省、復学後は再度徐々に一人暮らし

  • 正社員内定

私は高2で鬱と診断され、医師の指示で高校在学中に浪人を決めました。したがって、高校在学時点で「周囲から遅れている」という状況にはある程度慣れていました。私の場合この「慣れ」によって、周囲から遅れていることそれ自体に対してそこまで大きなコンプレックスがなく、これは休学に踏み切るにあたって重要な要素でした。


◆ステップ①~③

  1. 大学入学~休学まで ※本記事

  2. 復学直前~復学直後

  3. 復学後半年~現在、今までを振り返って



◆大学入学後の流れ

1年次は細かな体調の波は感じつつも、服薬しながら授業の他にもサークル、アルバイト、友人との付き合いにも積極的に参加していました。1年次の春休みに体調の変化が大きくなり、2年次の初夏には外出が難しくなり食事もとれず希死念慮が酷くなったため、夏休み前に親にアパートまで迎えに来てもらってそのまま休学に至りました。

1年の予定で休学しましたが、当初の復学予定の時期に一人暮らしに戻ったところ1ヶ月で症状が重くなり、もう1年休学を延長して計2年間の休学となりました。その後単位取得のペースを落とすという決断をし、4年の正規在籍+2年休学+半年留年という形で入学から6年半後に卒業しました。


◆休学に踏み切った際の具体的な症状

どのような状態で休学に至るかはその人の体力や学校・家庭状況によってさまざまだとは思いますが、私の場合を書いておきます。

  • 2回連続でアルバイトを当日欠勤したため限界を感じ、休職にしてもらった

  • 予約制でないクリニックにかかっており、薬が切れても受診できていなかった

  • 週に1度なんとか学校やサークルに顔を出す程度の外出(自分に役割のある行事や発表だけ)

  • 理解力、判断力、体力が著しく低下し、聴覚がとても過敏になる
    (例)

    ー今まで理解できていた本や授業レジュメを見ても文章の意味が分からない、音読はできるが意味が取れない、授業を聴いても「日本語の音声である」こと以上の内容の理解ができない。情報が目や耳を滑り落ちていく感覚。
    ー外に出ると車の音、人の話し声、店のBGMなどさまざまな音が混ざって頭に響き、意味もなく泣き出すことがある→BGMが流れているスーパーなどには基本行けないが、ただ道を歩くだけでも気力が削がれる。
    ー外出すると普段通りの道を帰れなくなることがある、道は分かっているが歩き出す脳の信号と足が繋がらない感覚。途中立ち止まったり座り込んだりして徒歩15分の道を3時間かけて帰る。
    ー買うものを決めて友人に付き添ってもらってスーパー等に行ってもその商品の前でフリーズしてしまう、品物に手を伸ばすことができない。

  • 会話の受け答えが遅い

  • 炊事、洗濯、掃除といった家事はほぼできず家がとても散らかっている
    →まずやろうとする気力が起きないのはもちろん、行程が多い、音が大きいので手を付けても最後までできない

  • とにかく食事ができない
    (食欲がない日も、食欲はあるけど意図的に食べない日もある)

  • 買い出しも調理もできない+食べられない
    →1日1食かそれ以下ですごす
    (ケチャップや砂糖をスプーンですくって飲むだけの日など)
    →低血糖のせいか立ちくらみや眠気がひどい

  • 服の上からでも周囲に気付かれるほどに急激に体重が減っている

  • 入浴、歯磨き、着替えといった清潔保持を毎日継続することができない
    →普段簡単にできることも手順が多いと次の動作がどんなものだったか判断できなくなるので、入浴に手を付けられても髪を洗っている途中でフリーズしたりする
    (一人暮らしでこれが起こると本当に大変です)

  • 希死念慮はあるが具体的にどうしたいかなどは考えていない

  • 基本的には毎日布団で過ごし、自分を責める言葉ばかりが頭に浮かんでいる


◆休学1年目

休学直後数週間はとにかく寝て過ごしていました。家族は痩せて何もできない状態の私にびっくりはしていましたが、私がフリーズしていると逐一次の行動を指示したり、私がリビングにいるときはテレビの音量を下げたりと協力してくれてとてもありがたかったです。

ただ、その後は今振り返るとだいぶ無茶をしていました。実家に帰省したことである程度は体力も回復したものの、復学後に一人暮らしに戻れなかったら困る!という意識が強くあまりしっかりと休めていませんでした。

何日か寝ては元気になったと思い込んで1日中出かけたり単発のアルバイトをしてみたり、学校に通う感覚を忘れないために休学開始半年で自動車学校にも行きました。でもやはり体調は悪いので、予定を前日や当日にキャンセルしてしまう、出かけた後は数日動けずさらに症状がひどくなるということが続きました。


◆休学2年目(3か月目くらいまで)

休学開始から1年で一旦一人暮らしのアパートに戻ったものの、1ヶ月弱で症状が悪化、生活が破綻してしまって休学延長の手続きをしました。

この段階になって、私も親も「今までの生活ではいけないのでは」と思い始め、本格的に休養の仕方を見直すことになりました。そこで再休学手続きから3か月ほどは以下のように過ごしていました。

  • 行動範囲は布団とトイレ風呂のみ

  • 携帯電話は日中親に預け(職場に持っていってもらう)、夜15分のみ連絡や日記のために返してもらう

  • それまで1人で行っていた病院やカウンセリングは親に付き添ってもらい、客観的な現状を医療関係者に共有する

休学1年目は、数日寝て過ごすと少し動けるように感じるため外出してしまい、さらに体調が悪くなる→また数日~1週間ほど寝るとまた動けるように感じる、の繰り返しでループしてしまっていました。

これでは回復しないので、まずは昼も夜も構わず寝まくって体力を回復させることを優先しました。世の中のニュースや他人の言葉を見ると余計な心の動きがあるので携帯電話も見ず、とにかく布団から出ない、何もしないようにしました。

また、休学1年目は1人で通院していて、家族から見たら「無茶をしている」ような状態でも自分では元気になっていると思い込み、医師などに元気ですと伝えていることもあったため、2年目は毎回親に診察室まで入ってもらって家族から見た状況を医師や心理士に話してもらっていました。そのような形式にしてから、特定の薬を服用し始めた時私が攻撃的になったり過度に自信に満ちたような態度になることを親に指摘され、鬱から双極性障害への診断変更に繋がりました。


◆休学2年目(4か月目~7か月目くらいまで)

  • ごくたまに友達と外出

  • ベランダで漫画を読むなどして日光浴

  • 小学校低学年か幼児でもできるレベルのとても簡単な家事(見守られた状態で洗濯物を少したたむ、洗った家族分の食器を定位置に戻すなど)

ある程度体力がついてこの頃から友達との外出を解禁しました。私は友人とのつながりがなくなることに焦るタイプであったこと、友人には病名や体力の低下を告げていたこともあって、理解のある友人と短時間外出したり家に来てもらうことで気分転換になりました。

また、外出の予定がない日でも日光を浴びるため朝決まった時間に起きて毎日着替えて散歩することが理想だと病院からは常々言われていましたが、それがどうしてもできず、代わりにパジャマのままベランダに出て日光浴をしました。何もしないと暇なので頭を使わないギャグ系の漫画で時間をつぶし、繰り返していくうちに段々とそのまま洗濯物を取り込むなどの単純な家事に繋がるようになりました。

しかし、まだまだ家では体力も思考力も回らないことが多く、家事も小学生のときよりも細切れでゆっくりなペースでしかできませんでした。最初は家族に見守ってもらいつつ、洗濯物のタオルだけたたむ、洗いあがった食器もお箸だけしまうといった感じでした。



布団からでられなかった私が一人暮らしで就活をするまでのスモールステップ②
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