“わたしの幸せ”を語る日。せんちの場合、ということで、
大学教員に求める三箇条
について、発表します。
後半では、なぜわたしがこの三箇条を掲げるのか、実体験を交えて述べます。発表者はわたくし、せんちです。よろしくお願いします。
まず
①学生の心身を第一に指導せよ
です。
学生に対して高圧的にものを言うのは×(バツ)です。
学生はあなたがたが思うよりはるかに繊細でもろい、です。教員の方が良かれと思って指導しているつもりでも、学生にとっては負担になっているケースが非常に多いです。
逆に、心身を労りながら指導すれば、想像以上の力を発揮できます。例えば、言い方を変えるだけでもずいぶんちがいます。例を挙げますと、「ここまでできていて、先生すごいなと思ったよ。そこでもっと良くなる提案があります…ここをこうすると、どうかな?」などです。
このように、教員側が常に留意しておくべきなのは、指導を受ける生徒の気持ちを想像しながら、教壇に立つことです。アカデミックハラスメントは、想像力の欠如を根本的な要因として発生します。
次に大切なのは、
②教員は教育者であると自覚せよ
です。
大学で教鞭を執る以上は、研究者としてではなく、先生として教壇に立つべきです。あたりまえのことのように思われがちですが、殊に大学の教員の多くにはこの認識が欠如しています。
そして、学生は教員の研究の手足ではなく、生徒として存在していることも忘れてはなりません。理系の学部には、生徒を自らの研究の道具のように見なしている教員が多くいると耳にします。ですが、それは大きな間違いです。教員は教育者、学生は指導を受ける生徒として大学に来ています。
三つ目に、
③学生に何もかも求めるな
を挙げます。教員側が指導と称して学生に改善点をだぁぁぁ、とぶつけ、その通りに学生が自分の論文を書き直すようなことは正しくないです。
学生には意義のある論文を書けなくてあたりまえです。仮にそれが書けるとしたら、その学生はもうすでに一流の研究者です。自分の論を形にするだけでも、大学生における研究者としての資質は十分すぎます。
ゆえに、これもできない、あれもできないと追い詰められたらパンクするのが必然です、なぜなら彼らは一流の研究者ではなく、ただの学生であるからです。
ここまで、大学教員に求める三箇条について述べてきました。その必要性を説くために、一例として、大学教員によるアカハラにより、
~大学時代に追い詰められたせんち~
の話をしましょう。
わたしは、誰よりも熱心に研究していました。毎日大学の図書館に籠って自分の論を追究したり、先生に質問をよくしたりと、研究に夢中な学生でした。
しかし、度重なる教員からの叱責により、何も食べられなくなり、自分を失ってしまいました。ご覧ください、このひどい顔を。(当時の自身の顔写真を投影)これは、一番しんどかった学生時代の時の顔で、青白く、もう「自分」という魂が抜けてしまっています。
しかしながら、それでも研究が好きで、このまま進めば死んでしまうとわかっていながら、研究がしたいとがんばってしまいました。その結果身も心も壊しつくし、卒業から2年経ってもなお苦しんでいます。
せんちが実際に言われた言葉として、ごく一部ですが、以下のような言動が挙げられます。
まず、「この論文の意義がわからない」「なんのために論文を書いたのか」です。先に述べたように、学生は一流の研究者ではありません。ですから、そんなものは書けなくて当然なのです。
次に、配慮事項を伝えると、「サボりたいのか」と一蹴されたことです。当時のわたしの指導教員は、言動があまりにもひどく、ゼミ生の半数以上が病んでしまい、研究発表を辞退することが頻発していました。そこで、わたしは、発表中にパニックにならないようにと、大学の専門部署に依頼し、配慮事項を作成してもらって、先生に渡しました。すると、その配慮事項を免罪符にして、課題をサボるつもりかと、ひどく怒られました。
最後に、卒業論文の提出期限直前に、「全部書き直してきなさい」と言われたことですね。これは本当に心身にこたえました。
これらの体験は、GATE-Cの当事者体験記に詳しく書きました。ぜひご覧になってください。
こうしてせんちは、2024年2月から、療養中です。
もう研究はしたくないです。いのちと研究を天秤にかけ、周りの人に説得されて研究の夢を捨てました。その要因は、
自分を追い詰めた教員のような人間になりたくない、という思いも大きく影響しています。
これ以上、せんちのような犠牲者を出さないでください。
大学の教員のみなさんは、どうか三箇条を守ってください。
大学教員に求める三箇条として、三つ挙げました。
①学生の心身を第一に指導せよ
②教員は教育者であると自覚せよ
③学生に何もかも求めるな
です。
このことを、今日この場で伝えることで、大学教員の方がこの三箇条を守っていただけたとしたら、“わたしの幸せ”につながったのでは、と考えました。
以上で、“わたしの幸せ”を語る日、せんちの場合、ということで、大学教員に求める三箇条について、発表しました。
最後に、こちらの文献は、スピーチの中で紹介した、当事者体験記です。ぜひご覧ください。ご清聴ありがとうございました。
