大学4回生の頃、わたしのこころとからだは限界を迎えていたようです。
なぜ他人事なのかというと、ずばり、あまり覚えていないから。ですので、覚えていないところは、身近にいる人から聞いた当時のわたしの話も参考に、綴ろうと思います。
話をもとに戻します。わたしは、この当時本当にしんどかったようです。理由は、いろいろな事情が重なった、というのが正しいのですが、際立って苦しかったことを挙げて説明します。
それは、大学のとある先生に認めてもらえなかったこと、辛く当たられていたことです。
わたしは、当時、文学部で日本文学の特に古典を専攻し、ゼミで研究していました。わたしは、古典を愛しており、研究を熱心に続け、ゆくゆくは大学院に入り、
ー一流の研究者になることを夢見ていました。
勉強も大好きで、授業終わりに先生にたくさん質問をしたり、課題レポートが出たときには非常に多くの資料を読み込み、納得がいくまで丁寧に研究をして、文字に起こしたりしておりました。
ーその頑張りに陰りが出たのは、
3回生でとある指導教官のゼミに入ってしまったことです。
その指導教官の名を、そうですね、K先生と置きましょう。女性研究者で、平安文学を中心に研究されていました。元々の専門は江戸文学だったようですが、平安文学を指導し、その研究者としても名を上げた人でした。
しかし、研究者として名を馳せたK先生には、教育者としての資質はありませんでした。彼女は研究者の資質は十二分にありますが、
ー教育者としては最悪でした。
エピソードの一つを例に挙げましょうか。例えば、ゼミ生が卒論に向けたレポートの授業内発表の時のことです。ゼミ生が書いたレポートを見て、こうおっしゃいます。「このレポートの意義がわからない」と。
もちろん、前述したように、K先生が偉大な研究者なのは事実です。ですから、質の高い論文を求めるのはある意味必然なのかもしれません。
しかしながら、ゼミ生の授業内発表は、大学生レベルです。なぜなら、ゼミ生は、大学生だからです。才能とか関係なく、みな一様に研究者の卵です。それをK先生は、考慮されません。もしくは、失念されているのかもしれません。
はっきり言って、ゼミ生が先生のおっしゃるような意義のある論文を書くのは、一般的な大学生には難しいです。最初からそんなものが書けるわけがないのです。書けてしまえる人物がいるとしたら、その人はもうすでに偉大な研究者です。
ましてや、わたしたちは2020年度入学生です。コロナ禍の影響で、対面授業もなかったし、課題だけ出されるだけな授業ばかりで、ろくなオンライン授業も教育さえ受けられなかった。その期間を経て、完全に対面授業が再開されたのは、大学4回生の頃です。レポートの書き方、論文の構成方法、参考文献の探し方など、本来ゼミにはいるまでに身につけておくべき教養は、わたしたちにはありませんでした。
K先生は今も、大学で平安文学を教えています。教育者として大学で教鞭を執るならば、現在進行形で、生徒のことを慮らなければなりません。例えば、当時のわたしたち生徒を指導するならば、2020年度入学生であるわたしたちの置かれた環境に思いを馳せるべきです。
合わせて、我々が所詮大学生で、到底意義のある論文を書くことができないことを、承知しておくべきです。
それをK先生は、しなかった。そればかりか、わたしも含め、多くの生徒をないがしろにして、
ーこころとからだを傷つけ、将来さえも奪いました。
実際に、K先生の当時のゼミ生の中では、半数以上がこころを病み、体調を崩しました。授業に出れなくなり、発表さえもできなくなるゼミ生が後を絶ちませんでした。
わたしも、その一人です。わたしの場合、
エピソード①
「(誰も突き止めていないし先行論もこれまでにない研究成果について)そんな知見は、とうに他の高名な先生(研究者)が気づいています、何がしたいのですか。
(そして4回生の夏休み終わりにほぼ完成した卒論を)すべて書き直しなさい。あなたの意図は、そんなでしたか?」
エピソード②
「(失礼なことは誓ってしたつもりはありませんが)困ったね。あなたは先生になんて失礼なことをするんでしょうか」というところでしょうか。
わたしが実際に言われて嫌だったことを上に述べ、括弧で説明はしたのですが、以下にもう少し詳しく説明します。
エピソード①について。
少し前に述べましたが、わたしは(自分で言うのもおかしいかもしれませんが)、真面目な学生でした。研究が大好きで、一日中大学図書館や文献資料室に籠もりきりで、寝食も忘れるほどでした。そして何より、一生懸命だったのは、卒業論文です。
2回生の12月頃から構想し、3回生でゼミ発表をしつつ書き足し、4回生の夏休み前には、ゼミ発表もこなし、先生や他のゼミ生からの講評をもとに修正を行い、卒業論文もほぼ完成させていました。満を持して学生生活最後の夏休みを迎えましたが、その最中にも、卒業論文の口頭試問を見据えて、指摘されそうなポイントをピックアップしていました。
それほど熱心に取り組み、完成していた論文を、
ーK先生は、全否定しました――それも夏休み明けに。
夏休み前のゼミ発表では、そのようにおっしゃらなかったのに――思えば、夏休み前最後の授業時に、それもずいぶん遠回しな言い方でこのようにおっしゃっていた気がします。「足元をすくわれないよう、できていない人はこの夏休みにしっかり、卒業論文に取り組むこと」と。
しかし、わたしの場合は、夏休み前のゼミ発表ではそれなりの講評をいただき、それをもとに修正し、その先のことも意識しながら卒業論文と向き合ってきたのです。そのわたしの論文を、K先生は二言で切り捨てました。そればかりでなく、もう卒業論文までまとまった休日がないのに、「すべて」書き直せとおっしゃいました。
エピソード②について。
これについてもう少し捕捉すると、わたしは、4回生の秋学期から、通っていた大学と同じ系列の大学院の授業を独自のシステムの下、正式に受講していました。その課程で受けた授業で、事件は起こりました。
当時のわたしには、①の先生のハラスメントがクリティカルヒットだったのですが、他のK先生によるハラスメントのせいでこころもからだも弱りきっていました。しかし、それでも大学院に入って勉強したいという一心で、授業に出席して、研究を続けていました。だからこそ、大学の正規の授業も課題もこなしながら、大学院の授業も受けていたのです。
しかし、こころとからだは弱っていく一方でした。そこで、わたしは以前からお世話になっていた大学のカウンセラーの方に相談し、授業について配慮をいただけないか、と受講しているすべての授業の担当の先生に正式に申し立てをしました。
その過程で、大学院の授業についても、担当の教授に相談しました。この授業では、課題について研究発表をすることが決まっており、少人数であったので、2回担当がありました。しかし、その研究発表は非常に難しく、また膨大な時間を要するものでした。しかもわたしは、不運なことに、1回目の発表の後、2週間後に2回目の発表をと、日程を決められてしまったのです。
この授業には教授の他に、わたしと同じように大学院を目指す他の学生と、院生の先輩と、専攻TAが在籍していました。他の学生については、わたしと違って春学期から大学院の授業を受けている人たちでした。
わたし以外は、ひと通り大学院の授業に慣れており、要領もわかっていました。おまけに、半年早く大学院の授業に触れた同学年の人たちは、院生の先輩とも交流し、課題のこなし方も熟知していました。
しかし一方で、わたしはといえば、こころもからだも弱り、授業に出るのがはっきり言って精いっぱいでした。授業の外での交流も、十分にしておらず、難しい課題を、しかも短期間で2回分やらなければならなかったのです。
それでも、一度大学のシステムで大学院の授業を受ける以上は、たとえ困難な状況でも、やりきることにこだわっていました。最初はそのようにカウンセラーに相談しましたが、難色を示し、課題を減らす配慮を求めてはどうかと提案されました。
今になって思いますが、このカウンセラーは、この時のわたしが危険な状態であることを見抜いていたのでしょう。在学当初からわたしという人間を見てきたからこそ、止めたのだと思います。
真摯な意見に耳を傾け、熟考した結果、わたしは該当の授業の担当の教授に
ー配慮を求めることにしました。
失礼のないよう、丁寧に言葉を選んでメールを送り、やり取りを重ねました。
そうして数日経ちましたが、まだやり取りは終わらず、並行して普段の授業と課題をこなしていました。その時でした。K先生は、
ー大学院の授業中にわたしを呼び出しました。そして、②のような言葉を投げつけたのです。
K先生の話を聞くと、おおよそ、このような内容でした。例の教授が、なんとわたしが送ったメールをK先生に転送し、このような配慮を求める生徒がいるけれど、あなたのところの学生ですね、と言いつけたようなのです。生徒個人とのメールを他人に転送するなんて、プライバシーもなにもあったもんじゃありません。
それだけでもひどい話ですが、重ねて、K先生は②のようにわたしに言いました。ニュアンスとしては、
『課題を減らすように高名な教授の先生に申し上げるなんて、言語道断だ。失礼極まりない。しかも、あなたは私のゼミ生で教え子であるにもかかわらず、そんなサボりをしたいがために、失礼なことを言うとは…私の顔に泥を塗る気か。今すぐ教授に謝罪しなさい』
というようなものです。
付け加えて言うと、このような内容を、
ー授業中に、他の生徒もいる中で
わたしに言ったのです。どれだけ恥ずかしくて、悔しかったかわかりません。
なぜなら、わたしはサボるつもりなんて、さらさらありませんでした。むしろ、しっかり授業に向き合いたくて、教授に直談判したのです。
その前に、カウンセラーの先生とともにどうしたら良いか考えて考えて、考えた結果、わたしは授業課題について合理的配慮をお願いすると決断したのです。その努力のプロセスを、サボり、失礼、困った、という言葉に集約されただけでなく、真剣に相談した教授はプライバシーを侵害し、尊敬し信じていたK先生にはいわれのないことでひどく怒られ、挙句、見知った同級生や先輩もいる前で公然と恥をかかされたのです。
そのようなことがわかりきっていても、わたしは、先生を疑えませんでした。だからこそ、本当に悲しくて、悔しくて、つらかったけれども、震える声でK先生にこれまでの事情を説明しました。しかし、先生はわかってくれませんでした。
とにかくその場をあとにし、わたしは母と電話をしたのを覚えています。
ー「信じていたのに、裏切られた」と。
結局、わたしはその日のうちに、教授に謝罪し、K先生にも詫びを入れ、申し訳ありませんとお伝えして、この事態を収束させました。意外なことに、教授は寝耳に水といった様子で、失礼とかは思っていない、と返答し、日程はわたしが言うようにタイトなので、発表順は考慮するから、課題はなんとかこなしてほしいとの旨をメールに書いて送っていただきました――わたしのプライバシーを侵害したとは露ほども言わずに。
以上のように、わたしは①と②のようなアカデミック・ハラスメントを主たる要因として、ついには絶望し、こころもからだもボロボロになりました。
それなのに、これだけ苦しんでも、わたしは大学院に進学して、一流の研究者になりたいという
ー夢を諦められませんでした。
相変わらずK先生のことも疑念を抱いてはいけないと自分に言い聞かせ、言われた通りに卒業論文を書き直し、また普段の授業課題に取り組むことをやめず、さらには就活もやめませんでした。
ーそれに待ったをかけたのは、わたしの両親でした。
両親は、事情は少し理解し、かつわたしの体調や暮らしぶりを把握した上で、卒業はして、とにかく実家に戻りなさい、今は、卒業論文のことだけに集中しなさいとわたしに言いました。母に至っては、がんばってもできないのなら、それはそれで仕方がないから、卒業論文が書けなくても良いから帰ってきて休みなさいと言いました。
その後、死に物狂いで卒論をすべて書き直し、口頭試問も精一杯取り組み、無事に卒業はできました。
ー卒業はできましたが、
わたしのこころとからだは限界を迎えており、かつてのような学ぶ意欲も、なにも残っていませんでした。
そして、2024年2月24日。わたしの入院生活は始まりました。
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