◆はじめに(企画趣旨)
自分の保護者には、面と向かうと言いづらいことがあります。
本企画では、障害のある「先輩」学生が、
「自分の保護者」に対してではなく、
障害のあるお子様を持つ「後輩の保護者」に向けて、
「お子様の一番の理解者になって欲しい」という気持ちから
自分が、保護者にしてもらって
「嬉しかったこと」や「嫌だったこと」等を言葉にしています。
お子様とのより良いコミュニケーションに役立てていただければと思います。
◆先輩自己紹介
双極性障害 精神障害者手帳3級
2025年4月から一般雇用で就職予定
大学進学を機に実家を出て関西で一人暮らし、就職後上京予定
3人姉妹の長女
私立文系学部出身
高校時に鬱病と診断、1年浪人して大学に入学後、2年生時に2年間休学中に双極性障害に診断変更、復学後半年留年して秋卒業
◆保護者との関わりでよかったこと
①精神科受診への偏見がなく、迅速に医療にアクセスしてくれ、治療に必要な休養にも肯定的だった
私の初めての鬱症状の表出は記憶する限り突然でした。原因不明の高熱が1週間程度続き、熱が下がって友人と遊びに行った際に理由もなく泣き出してしまった翌日に、母が病院に電話をかけてくれたことで、自覚してすぐに受診することができました。
また、診断を受けてすぐに、「高校を休学するか、在学中は進級に必要な最低限の勉強のみをして浪人するか」という選択をするよう医師に言われたときにも、同級生と一緒に卒業したいという私の意思を尊重し、進級要件さえ確認していれば欠席も遅刻早退も赤点もなにも言わずに見守っていてくれました。
父が過去に鬱病を経験していたため、母の中に「精神疾患はとにかく休まないと悪化する」という考えがあり、受験や就職について焦らせるような発言をされず、逆に高校在学中に受験勉強を始めようとしたり、大学休学中に就職について考えたりすると「寝てなさい」と強制的に休養モードに入れてもらえたことで、休養の仕方を身に着けることができました。
また、症状が酷いときはカウンセリングや診察に同行して客観的に見た症状を話してくれたことで、自分自身の認識よりも状態が悪いことに気付くことができたこともありました。(診察への同行は本人の意思や病院の方針をしっかり確認する必要があるかとは思います)
②私のことをいい意味で別の人間として接してくれた
母は自他の境界線がとてもはっきりしていて、人によっては「冷たい」と評価されることもあるような人ですが、病気を発症してからの私にとってはそのスタンスがとてもありがたかったです。
精神疾患の人間が近親者にいると、周囲の家族も一緒になって病んでしまう、接し方に疲れてしまうという話をよく聞きますが、私の母は「私と『のこ』は違う人間だから話は聞くけど共感はしない」とよく言っていて、私がどれだけひどい鬱状態でもつられて鬱っぽくなることはなく、淡々と毎日を過ごしていました。
私が病んでも母は動じないという信頼があったため、気分が落ち込んでいてもそれを必要以上に隠したり、周囲を落ち込ませてしまったという罪悪感を抱いたりする必要がなく、ある意味気が楽でとてもありがたかったです。
③分からないことを知ろうとしてくれた
母は病院の先生も「世間に1%いるかいないかの強靭な精神の持ち主」というほどで、何かに悩んで体調を崩すということに無縁な人です。でも、私が鬱の診断を受けた時も、双極性障害に診断名が変わったときも、すぐに病気のことを調べたり、積極的に医師やカウンセラーに質問をしたり、正しい知識を得ようとしてくれました。
また、「辛さが分からないので言葉で説明してほしい」とよく言っていて、その言葉通り私が症状を説明すると(例:〇〇したくないという感情があるのではなく、したい・したくないという感情すら浮かばないほどに思考力が落ちている など)をまっすぐ受け止めてくれました。
結果として、「精神疾患は甘え」というようなことを言われることなく療養できたことが本当にありがたかったです。
◆保護者との関わりで困ったこと
①自分の考えを押し付けられたこと
目の前の私を見てくれた母親と対照的に、鬱を経験していた父親は自分の療養経験を私にあてはめようとする傾向が強かったように感じます。私の経験や主治医の話によると、人間の脳は一番つらかった時期の記憶を閉じ込めようとするため、ある程度回復すると鬱症状が一番ひどかったときの感情は忘れることがあるらしいのですが、父はそれを知らないのか、医師と相談の上大学を休学すると言った私に「休んでいても治らないのは知っている。新しい趣味を見つけるために行動を起こすべき、大学はやめて起業塾へ行け」とひどい鬱の時にやることではないようなことを言いました。
鬱病経験があるからこそ自分のアドバイスが正しいと思い込んでいて、当時着替えや食事すらままならない状態だった私は思考も回らず言い返すこともできませんでした。ただ、この人に症状や治療方針を共有することはやめようと思いました。
②病院から言われた回復ステップをうまく踏めないと叱られたこと
療養が長くなってくると、寝てばかりいるわけにもいかず、毎日着替えることや簡単な家事をすること、散歩などをスモールステップで行うよう病院から勧められるのですが、私は病院から提案されてすぐにそれを実行できませんでした。
診察に付き添ってくれていた母は、復学期限があるのに病院で言われていることができておらず寝てばかりの私に対して「いつまでこのままなのか、本当に社会復帰できるのか」という気持ちがあったようで、「本当に治す気があるのか、復学する気があるのか」と問われることがありました。
当の私は、病院で言われることは一番ひどい時期よりはできる見込みがあるが、手を付けるのに多大なエネルギーが必要な状態で、かといって大学の勉強は好きで絶対に復学したいとも思っていて一番焦っている時期でもあったため、このような言葉をかけられると1週間ほど引きずってさらに調子が悪くなるのでとてもつらかったです。
実際、復学してから2年半経過した今春、一人暮らしで週4日大学に通いながら就活できるレベルに家事も外での活動もできています。実家に戻って家族分の家事をすると当時の記憶が残っている母にとても驚かれますが、発症前難なくできていた簡単な日常動作なら鬱が酷いときやそこから少し回復しているときにできなくても、時間が経てばできるようになるんだなと思いました。
◆現在の親との関係
幼少期からの積み重ねもありますが、上記に書いたエピソードが決定打となり、父親とは距離を置いています。母やカウンセラーなどとも相談して現在は父親には年に数回しか連絡を取っていませんし、ここ数年は1度も顔を合わせていません。父から私への連絡も控えるようにしてもらっています。こう書くととても問題のある父親に見えるかもしれませんが、状況とタイミングが合わなかっただけで一般的には子のために何かしようとする良い父親だと思います。
母とは良好な関係を築いています。私は自分の病気の発症が幼少期の自己肯定感の低さに由来すると考えていて、なぜ当時そこまで自己肯定感が低かったのか、覚えているエピソードや母の当時の子育ての方針をもとに話し合っています。
私は発症から数年間、一般的にみて友人も学校環境も家庭環境も良好なのになぜ鬱になってしまったんだろうと自分を責めていましたが、最近は、一般的にいい家庭=自分に合う家庭ではないんだろうなと思っています。家族も人間関係なので、どちらともに非がなくともどうしても相性が悪いということはあり得るのだろうと考えています。
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