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地方→都内の大学→地方帰省~私のしんどさと孤独~(都心の生活)

こーらる

◆自己紹介

はじめまして!こーらると申します。

こーらるという名前の由来は、コーラルピンクは「多幸感」を表す色であり、薄ピンク色のような和やかで幸せな日々を送りたいという願いと、コーラルレッドのような興奮状態の自分も受け入れて、どちらの自分も認めてあげたい、という想いと意味を込めています。好きなものは音楽と編み物と紅茶です!よろしくお願いします。

私は大学3年生の夏頃に双極性障害と診断され、実家療養と約1年間の入院、半年の休学を経て、昨年(2024年)の9月に大学を卒業し、仕事探しをしていました。今年(2025年)3月頭に仕事が決まり、4月から6時間のパートタイムで事務補助の仕事をしています。

私は地方から都心の大学に進学し、1年目はコロナ禍のため実家でオンライン授業、2年目は寮暮らしでオンライン+対面授業、3年目は一人暮らしで対面+オンライン授業という生活でした。都心の大学に通い一人暮らしの期間に病気を発症し、その後地方の実家で療養しながらオンライン授業で大学を卒業した私の経験をもとに、都心と地方の暮らしやその時に感じた感情、病気への影響などを振り返って行きたいと思います。


◆都心の暮らしでの悩み

私が都心の暮らしの中で感じたことは、人込みの騒がしさや他人からの視線、高層ビルの圧迫感、夜遅くまで人が活動しており落ち着かない、都会慣れした友人との活力やテンションの温度差、生活リズムの違いなどでした。コロナ渦での感染予防への捉え方の違いにも悩まされました。

そんな私がどんな生活を送っていたかというと、勉強やゼミ活動に熱心に取り組み、文化祭実行のサークルにも所属し、家でもパソコン作業やオンラインでのミーティングをする忙しい日々を送っていました。また都内の大学に進学したら、カフェ巡りやショッピング、娯楽施設へも行きたかったので、友達と遊ぶことも楽しかったです。

その中で私がぶつかった問題は主に4つでした。

  • 1つ目は、オンラインでの授業や打ち合わせが多く、オンオフの切り替えや生活の質を保つことが難しいこと。

  • 2つ目は、対面授業が少なく、友人とのリアルでの交流が少ないため、寂しさを感じること。

  • 3つ目は、夜遅くの外出や飲み会の場や雰囲気が苦手であること。

  • 4つ目は、コロナへの危機感の差やコロナ対策への考え方の違い。

3つ目に関しては別に昼間に遊べばいいように感じると思うのですが、自分の共通の友人達が飲み会に行っていると、私が次その友人達と遊ぶ時に自分の知らない話題が出てくることが増え、少しずつ疎外感を感じるようになっていきました。逆にコロナへの危機感の強い子は大学へ必要最低限しか来なかったり、関東の地元の子たちと楽しそうにしていたりするので、なかなか自分の価値観とピッタリの子を見つけるのは難しかったです。

私は寂しがり屋で欲張りで、でも臆病な性格なので、遊びを楽しむ友人に嫉妬し、でも自分はゼミを頑張りたいし、夜の外出は怖いし…などなかなか妥協や改善ができずにモヤモヤばかりが募っていきました。


◆生活の実態(2年次:寮暮らし 3年次:一人暮らし)

2年の時は寮暮らし(大学近辺)で、時間が合う時は同室の子とご飯を食べていたので寂しさはあまりありませんでした。夜遅くまでの外出に関しても門限があり、23時には家に帰る口実があったので、私としては丁度いいタイミングで家に帰ることができ良かったです。隣で生活している友人がいるというのも、何かあった時すぐに相談できるので、安心感がありました。

問題は3年になって一人暮らしを始めてからでした。家賃や治安、学校への通学のしやすさから、電車で20分ほどの所に引っ越しました。一人暮らしというのは自由で楽という人も多いと思うのですが、私にとっては心細く寂しかったです。一人きりでいる時間があまり好きではなかったので、とりあえず大学に行って課題やゼミの作業をしたり、アルバイトに多めに入ったり、2年生の時にコロナ渦で外出を控えめにしていた分遊びに出かけたりと、アクティブに活動していました。

3年の春頃から本格的に就職活動についても色々と考えたのですが、地元に戻るのか、関東で就職するのか、どんな業種や職種に就きたいのか、どの項目もはっきりと定まらず優柔不断な状態でした。私は一人っ子で両親に地元に戻ってきてほしいと言われていたのと、都会での生活に馴染み切れず疲れを感じる部分もあったので、環境としては地元に戻りたかったのですが、地方には私が大学で学んだことを活かせそうな仕事はあまりなく、厳しい状況でした。今考えると、その時点で他の選択肢を模索することに労力をかけて、可能性を広げるべきだったのですが、その時の私は疲弊してしまっていて、頭が回らずやる気も出ない状態となっていました。


◆心と身体のSOS

そんな時38度以上の高熱を3回ほど繰り返し(コロナではない)体調が悪くなり、微熱の日も多くなりました。気持ちも不安感や自信喪失感が強くなり、やる気が起きず体も頭も動かなくなり、家事や学業、アルバイトができなくなっていきました。家にいるとひとりぼっちで不安と焦りに襲われ、外出すると街や電車にいる楽しそうな人たちを見て自分の惨めさと孤独を痛感する日々でした。

自分の心身に異変が起きているのには気づいていて、ネットでメンタル系のセルフチェックをして、うつ状態の可能性が高いとの結果が出ましたが、なかなか病院を受診するなど解決のためのアクションを起こすことは出来ませんでした。

ひとり暮らしの大変な所は体調を崩した時にすぐに頼れる人がいないことだと思います。友人などに助けを求めればよかったのですが、部屋の状態がとても人を呼べる状態でなかったり、自分自身が人と会う気力が無かったり、一番はそんな酷い状態の自分を見られたくありませんでした。私は人からの目や評価を気にするタイプであり、周りからしっかり者と思われることが多かったので、助けを求めたくてもなかなか上手くSOSを出せませんでした。それでも気に掛けてくれる友人や家族が声を掛けてくれて、気分転換に出かけたりしましたが、周りに心配されるほどの状態になってからでは自分の意思だけでは回復できない状態でした。


◆その後の症状と対処

一時的な物かと思って様子を見ましたが、心も身体も疲弊していくばかりで、離人感や焦燥感、息苦しさも出るようになりました。そこで初めて自分は大変な状態になっていると気付き、大学のカウンセラーさんや街のメンタルヘルスの電話相談などに相談をしましたが、一時的に気持ちが楽になるだけで、根本的な解決にはなりませんでした。

その後も情緒不安定な状態が続き、夏休みをきっかけに長野の実家に帰省し、心療内科を受診しました。


◆ここまでの振り返りと学んだこと

人間は不安や違和感、居心地の悪さや疎外感、孤独などの自分を苦しめる要素によりストレスを感じ、心身ともにしんどくなるのだと思います。感受性は人それぞれ違うので、何に対して嫌悪感やストレスを抱くかも個性があるはずなので、他人の個性を理解しつつ、自分らしさを第一に、自分が生きやすい捉え方や環境と生活リズムを整えるのが必要だと感じました。

私が一番辛かったのは、先や将来が思い描けず、自分が何をしてどこへ向かうのかが分からないときでした。就職や将来の生活の想像が付かず、何のために頑張っているのか分からなくなったときに消極的な感情が襲ってきました。

当時は気力も体力もなく、熱や体への異変などネガティブな要素ばかりでどん底でしたが、最近になってから読んだある本の言葉で捉え方が変わりました。風邪や病気などの体調不良は人の心身の不調を本人や周りに知らせ、休んでもらうためのSOSであり、けして敵視して無理やり我慢するものではない。というものです。

知らず知らずのうちに無理をしたり、他人に流されて自分がわからなくなったり、こういうときは自分の心と身体の安定のために一歩立ち止まるのが大切だと思いました。立ち止まることの大切さを感じたエピソードは後編で具体的にご紹介したいと思います。

では最後におすすめの曲を紹介して、終わりたいと思います。三木なつみさんの「ウシロマエ」後ろに動く心も認めた先に前進がある。そう信じて⋯



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