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「軸」を見つめ直すー他人を考えすぎて失う自分

せんち

突然ですが、みなさん。他人のことを考えすぎて動けなくなってしまうことはありますか。

いえ、なにも怪しいセールスとかの勧誘ではありません(笑)。そんなに警戒なさらず。 本章では、わたしたちの中にある、「軸」の話をしたいと思います。



人間の脳内には、「軸」というものが存在します。イメージで言えば、まっさらな紙に、縦線が入っている、という状況です。数学的に言えば、真ん中にy軸のみがある、と表現できます。そして、この軸の左右にそれぞれ自分と他人、というフィールドが置かれています。このフィールド上に個々の意思に基づく「点」が置かれたとき、意思決定が完了し、思考した後の行動を支配します。

この軸はいわば、人間の行動の指針になります。冒頭で私は、他人のことを考えすぎて動けなくなってしまうことはあるか、と問いを投げかけました。その問いに心当たりのある人―すなわち我々―が、どのような思考・行動パターンをしているかについて、軸の観点から説明します。 人間は誰しも、生まれた瞬間は自我しか持ちません。母親の腕に抱かれる赤ちゃんは、お腹が空くと泣きます。オムツを替えてほしいときも泣きます。この行動においては、自我、すなわち左のフィールドである自分軸の方に「点」があるわけです。

しかし、成長するに従って、人間は自我を必ずしも優先しないようになります。つまり、他人軸である右のフィールドで、物事を考えることができるようになるわけです。


たとえば、学校のクラス内において、授業が退屈で、外で遊びたいと思った少年がいるとしましょう。この時、彼は、脳内の軸において、この先の行動を決定づけるための「点」をどこに置くべきか、判断を迫られます。

この少年が他人軸(右側)のフィールドに点を置いた場合、少年は我慢して授業を受け続ける、という選択を取ります。自分が授業中に立ち上がって外へ行って遊ぶことで、授業の進行を妨げるよりもむしろ、他の生徒や先生のことを優先して考え、トラブルを起こさないという決定をした、ということになります。そして、授業は滞りなく進むわけです。

しかしながら、この少年が他人軸で物事を考えづらい特性、すなわち、我々のような発達障害を持っていたとしたら、どうなるでしょうか。少年は、自分軸(左側)に点を置きます。そして、授業の円滑な進行よりもむしろ、自分の授業の退屈さの憂さ晴らしをすべく、急に立ち上がって外へ出てしまう、ということが起きます。当然のように、授業は滞り、クラスメイトは何だあいつ、と白い目で見て、少年から距離をとるわけです。


このように、我々、発達障害のある人間の自我は、特別強く生まれています。軸で言えば、真ん中の縦線よりもはるかに、自分軸側、すなわち左側のフィールドに我々という点があるのです。そして、その特性ゆえに、他人軸のフィールドには、点を置きづらくなります。

しかし、この段階において、他人を考えすぎて失う自分、である我々の場合は、話は違ってきます。自分軸側に点を置くよりもむしろ、どうすれば弾かれずに集団とうまくやっていくか、を考えるのです。それゆえに、自分軸側に点を置き続けて生きる選択を取りません。

この結果に大きく影響する要因としては、我々が普通の人間よりもはるかに、差別を目の当たりにしてしまう機会が多いことが挙げられます。そしてそれは、我々が意図せず他の人と違うことをしてしまったり、場にそぐわない発言をしたりすることに起因します。上に述べた自分軸を優先した少年の行動もそれに当てはまります。そのことで、他の人間、いわゆる健常者の人からは、距離を取られたり、ひどいときにはいじめにあったり、などの差別を受けます。

そしてそれを目の当たりにした時ー不幸とも言うべきかー、我々は、普通の人よりも、自分が距離を取られていることを、はるかに敏感に感じ取ります。そこで、他の人から弾かれても、それを気にせずに生きるか、それとも、弾かれずに生きる方法を模索するかどうか、という二択を迫られるわけです。この二択で、後者を選択した場合、他人軸で物事を考える術を身につけることになります。

しかし、この術は、時として我々に耐えがたい苦しみを味わわせます。生来、普通の人間より自分軸側に点を置く傾向のある我々が、他者と上手く付き合っていくべく、他人軸側に点を置き続けるとどうなるでしょうか。それは、良くも悪くも、自分自身を曲げることになります。それゆえ、自分の気質よりも、他者との関係を優先し続けることは、我々にとって苦痛をもたらします。


その苦痛を生む原因こそが、「他人を考えすぎて失う自分」であるわけです。「他人を考えすぎて失う自分」である我々は、自身の状態よりも、他人にどう思われるか、を重視します。その結果、自分軸側に点を置く行為を嫌悪し、すすんで他人軸側に点を置いてしまうのです。そして、それに伴い、自分の本質を曲げた代償を、苦痛として受けてしまいます。

常に他人軸側に点を置く行為は、誤解を恐れずに言えば、他人にとって都合の良い存在になることを意味します。そればかりか、自分を大切にできなくなってしまいます。それこそが苦痛の正体なのです。

そのような事態に陥らないために重要なのは、ケースバイケースで点を置くことです。つまり、常に他人軸側に点を置くのではなく、個別のケースに応じて自分軸側、または他人軸側に点を置くことを選択する、ということです。ある時は、自分を優先する。またある時は、他人を優先する。そのことが、「他人を考えすぎて失う自分」を内に宿す我々にとって、必要不可欠です。



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