初めまして。シャンレンと申します。現在、修士課程2年で、修了を間近に控えています。私は公務員(教員)としてフルタイムの障害者雇用で働きながら、週末や夕方以降に大学院で学んできました。研究分野は主に子どもの障害福祉に関わる社会学系で、いわゆる社会人大学院生としての生活を送っていました。
今回は、以下の4つのテーマについてお話ししたいと思います。
精神障害者になるまで
大学院進学に至るまで
仕事と大学院の両立
今考えていること
これらのテーマを通して、これまでの経験や感じたこと、学びについてお伝えできればと思います。障害を抱えながら働き、学ぶことの意味、そこから見えてきた未来への展望について、少しでも共感していただける部分があれば幸いです。
①精神障害者になるまで
私は現在、精神障害者保健福祉手帳2級を持ち、うつ病と自閉症を抱えています。昭和生まれで、妻と2人の娘がいます。大学の学部を卒業してからずっと小学校の教員を続けてきましたが、精神疾患の診断を受けたのは30歳を過ぎた頃でした。当時は学級担任をしており、それまでにも担任の経験はありましたが、振り返ると昔から一度に複数のことをこなすのが苦手だったように思います。
小学校の学級担任の仕事は、30人前後の児童に気を配りながら授業を進めるだけでなく、放課後には会議や事務作業、保護者対応など、様々な業務が重なります。特に年度の始めや行事の多い時期は、目の前の仕事を丁寧にこなしたくても次々と新しい業務が舞い込み、常に追われているような感覚でした。そんな日々が続くうちに、少しずつ心や体に異変を感じるようになりました。最初は「疲れているだけ」「気分が落ち込んでいるのかもしれない」と考えていましたが、次第に仕事に行くこと自体がつらくなり、集中力も続かなくなっていきました。それでも「教師として、家族を守るためにしっかりしなければ」という気持ちだけで踏ん張り、なんとか業務をこなしていました。
しかし、ある日の授業中、突然頭が真っ白になり、言葉が出てこなくなりました。その瞬間、今まで感じていた疲れとは明らかに違う何かを感じ、「これは普通の状態ではない」と気づきました。思い切って病院を受診すると、「うつ病」と診断されました。その瞬間、驚きとともに「やっぱりそうだったのか」とも感じました。長年感じていた生きづらさや、周囲とうまく噛み合わないことが多かった理由が、病気によるものだったと知り、少しだけ気持ちが軽くなったのを覚えています。
さらに詳しく検査を受けると、私はもともとマルチタスクが苦手で、特定の環境で極端に負担を感じやすい特性があることが分かりました。また、人とのコミュニケーションの中で微妙なニュアンスを掴むのが難しいこともあり、自閉症傾向があることが判明しました。それまで「自分の努力が足りないせいだ」と思い込んでいたことの多くが、実は自分の特性によるものだったと分かりました。しかし、それを理解したからといって、すぐに働き方を変えられるわけではなく、周囲に迷惑をかけたくないという思いから無理を続け、体調はますます悪化していきました。
それでも、どれだけ体調が悪くても仕事を休むことも休職することもなく、無理をし続けていました。今振り返ると、それがかえって回復を遅らせ、苦しい時間を長引かせる結果になったのだと思います。
②大学院進学に至るまで
精神疾患を抱えたからといって、すぐに大学院への進学を考えたわけではありません。病気の影響で気力が湧かなかったのはもちろん、妻と子がいる中で学費を負担できるほどの余裕もありませんでした。当時の私は、「とにかく仕事を続けなければ」「家族を養わなければ」という思いだけで、なんとか毎日を乗り切っていました。
そんな中、転機となったのは障害年金を受給できるようになったことでした。それまでは、体調がどうであれ働き続けるしかないと思っていましたが、年金を受給したことで「自分のためにお金を使う」という選択肢が生まれました。まずは「このお金をリカバリーのために使おう」と考え、精神保健に関する講演会やセミナーに参加するようになりました。医療や福祉の専門家の話を聞くうちに、「そういう視点があったのか」「自分の経験と重なる部分がある」と感じることが増え、次第に「学ぶことそのものが、回復の助けになるのではないか」と思うようになりました。
そこから本格的に学び直すことを決め、まずは教員としての経験を活かして公認心理師の資格を取得しました。その後、さらに知識を深めたいと思い、通信制の専門学校で精神保健福祉士の資格を取得しました。仕事を続けながらの学びは大変でしたが、「学ぶことで自分のリカバリーにつながる」という実感があり、自然と続けることができました。また、「学びを仕事にも活かしたい」という思いから、発達障害などを抱える児童を支援する「特別支援教室」の担当教員に異動を希望し、幸い配置換えが叶いました。
この頃、障害年金の等級変更からの増額もあり、経済的な不安が少し和らぎました。「学べば学ぶほどリカバリーにつながる。もっと深く学びたい」という思いが強まり、そこで初めて「大学院進学」という選択肢を真剣に考えるようになりました。しかし、大学院に入るには「研究計画書」を書かなければなりません。論文や計画書を書いたことがなかった私は、何をどう書けばよいのか分からず苦戦しましたが、「学びたい」という気持ちを支えに、少しずつ調べながら研究計画を練り直しました。
何度も書き直しながら自分の学びたいことを整理し、ようやく納得のいく形にすることができました。そして、社会人として働きながら通える大学院を探し、無事に合格することができました。こうして、病気のリカバリーのために始めた「学び」は、いつの間にか私にとって欠かせないものになり、新しい道へとつながる大きなきっかけになったのです。
③仕事と大学院の両立
私は職場には秘密にして大学院に通っていました。修士論文の審査会が終わった段階でようやく管理職に報告しましたが、それまでは誰にも言わずに仕事と大学院の両立を続けていました。職場に知られることで周囲の目が変わるのではないかという不安があり、仕事と学業の両立がどれほど大変なものかも分からなかったため、まずは自分だけで乗り越えようと決めていました。
小学校教員の仕事はそれだけでも忙しく、児童の指導、会議、事務作業、保護者対応、成績付けなど、日々多くの業務に追われます。そこに大学院の講義や課題、研究、修士論文の執筆が加わり、時間的にも体力的にも限界に近い状態が続きました。平日は仕事を終えるとすぐに帰宅し、自宅でリモート授業を受けました。勤務が終わるのは夕方ですが、その後も会議や児童対応があるため、慌ただしく帰宅し、パソコンを立ち上げて授業に参加。授業が終わる頃にはすでに疲れが溜まっていましたが、その後も課題や研究を進める必要があり、就寝時間が深夜になることも珍しくありませんでした。
週末は貴重な学習時間であり、ほとんどの時間を研究や課題に充てました。家族との時間も大切にしたいと思っていましたが、研究が優先になることが多く、結果的に家族との時間を削らざるを得ませんでした。特に修士論文の執筆が本格化してからは、週末はほぼ一日中パソコンに向かい、研究に没頭する日々が続きました。それでも、大学院にはフルタイムで働きながら通う社会人学生が多く、彼らも同じように仕事と学業を両立させるために工夫していました。「自分だけが特別に大変なわけではない」と思うことで、何とか踏ん張ることができました。
特に厳しかったのは、仕事が繁忙期を迎える時期です。学期末の成績付けや保護者面談などの学校行事が重なると、大学院の課題に手をつける余裕がほとんどなくなりました。さらに、そのタイミングで昇進試験を受けることになり、試験勉強まで加わったことで心身ともに追い詰められました(ちなみに、昇進試験には落ちました…)。そんな中でも、「学びたい」という気持ちが途切れることはなく、大学院で得た知識を教育現場で活かせることにやりがいを感じていました。特に発達障害のある児童への支援方法を学び、それを実践に取り入れることで「学びと実践がつながる」という実感を得られたことが、大変な中でも支えになりました。
仕事と大学院の両立は決して楽ではありませんでしたが、得た経験や知識は教育現場での実践力を高めるだけでなく、自分自身の成長にもつながりました。振り返ると、多忙な日々の中でも学び続けることができたのは、「自分にとって学ぶことが大切な意味を持っていたから」だったのだと思います。
④今考えていること
今回は、障害者雇用のフルタイムとして働きながら大学院修士課程(社会学系)を修了した経験についてお話ししました。仕事と学業の両立は決して楽ではありませんでしたが、学ぶことが自分自身のリカバリーにつながり、教育現場での指導にも役立つ大切な経験となりました。
大学院を修了した後も教員の仕事を続けますが、4月からはもう一度修士課程に進学し、今度はリハビリテーションの視点から精神障害者の就労支援について研究する予定です。精神疾患を抱える人がどのように働き続けることができるのか、どのような支援があれば無理なく社会に適応できるのかを、より実践的に学びたいと考えています。そして、この研究をさらに発展させるために、博士課程への進学も視野に入れています。
私が学び続ける理由の一つは、「障害があっても、環境や支援が整えば、自分に合った方法で学び、成長し、社会の中で役割をもつことができる」ことを自ら証明したいからです。私自身、うつ病や自閉症を抱えながらも学びを続け、教員として働いてきました。この経験を活かして、障害のある人が安心して学び、働き、自分らしく生きていける仕組みを作ることが、私の目指す未来です。
最終的には、学んだことをすべて活かし、障害のある子どもから大人まで一貫して支援できる事業を立ち上げたいと考えています。具体的には、児童発達支援や放課後等デイサービスを通じて、幼児期・学齢期の子どもたちの発達や学びを支援し、その後の就労移行支援事業を通じて、社会に出るための準備をサポートする仕組みを作りたいと思っています。教育・福祉・就労支援といった異なる分野をつなぎ、一人ひとりに合った支援ができる体制を整えたいと考えています。
このような仕組みを実現するには、さらなる学びと経験が必要です。だからこそ、今の仕事を続けながら研究を深め、実践と学問の両面からアプローチしていきたいと考えています。これからも「学びを通じたリカバリーの可能性」を追求し、より多くの人が自分に合った形で社会の中で活躍できるような支援を目指して挑戦を続けていきます。
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